では収録内容の詳細を

ザ・本場 アメリカン・プロレス
鉄の爪エリック一家大激闘!(VHS-TAPE)
(約1時間30分収録)
  本作品はDVDではなくってビデオ・テープ。我が家の押入れを整理し
 ていたらひっこりと見つかった代物で、20年程前(パッケージの裏側に
 は1984年製とあったワ)に確か定価の12,800円にて購入したもの
 (なんでそんな大金持っていたんやろ、当時のワシ)。
 東映から出された【ザ・本場 アメリカン・プロレス】シリーズの一本や。
 で、収録されているのは皆様ご存知の“鉄の爪”フリッツ・フォン・エリッ
 クと、ケヴィン、デヴィッド、ケリーからなる鉄の爪一家による名勝負集。
 脇を固める共演陣もエリック御大が統治するWCCW(World Class Ch
 ampionship Wrestling)を主戦場とするバンディにフリー・バーズの面々。
 言わば鉄の爪一家と気心の知れた仲間達による一大人情絵巻の様な
 ものですワ。では早速内容をご報告いたします。
  ※先刻ご存知な方も居られるでしょうが、エリックには早くに死亡した
   ジャックって名前の長男が居りました。
   よってその後に生まれたケヴィンは次男、デヴィッドは三男、ケリー
   は四男となるはず。ただプロレス業界ではジャックについては触れ
   ず、“鷹の爪”ケヴィンを長男、“鉄の爪二世”デヴィッドを次男、“虎
   の爪”ケリーを三男とするのが通例であると諸先輩方に教えられた
   ので、以下のレビューではそのように表記いたします。

@WCCW認定アメリカン・ヘビー級タイトル・マッチ
 “巨鯨”キングコング・バンディ vs.
 “鉄の爪”フリッツ・フォン・エリック
  1982年6月6日にテキサスで収録されたこの試合なんですが、実は
 “鉄の爪” フリッツ・フォン・エリックの引退試合。
 手元の資料によると1931年生まれのエリック、当時は50才そこそこの
 はずでして、正直まだまだ若い者には負けんデってところなんでしょうが、
 自身が設立したWCCWも軌道に乗り、息子達もそれぞれ一人前になっ
 たので一線を退く気持ちになったんやろね。
 さて引退試合の相手なんですが、息子達の中から誰か1人を選んで勝
 ち負けは別にして周囲にコイツそこがワシの跡取りってイメージ付けす
 る事も可能だったと思うのやけど、WCCWで自らが売り出してやってい
 る“巨鯨”バンディを御指名。殴って蹴って椅子でしばいて、待ってました
 のアイアン・クローが火を噴き、何故か場外で3カウントをゲット(エニィ・
 ウェア・ルールやったんやろか?)ですワ。
 それにしても全盛期は過ぎたとは言え、エリック御大の迫力って凄いな。
 筋トレで作ったんじゃなくってナチュラルにデカく、見るからに腕っ節も強
 そうやもん。こんな迫力を持った選手、21世紀には居ないでっせ。
 あ、この試合に負けたバンディ、5月にケリー・フォン・エリックから奪っ
 たタイトルを手放す事になったのですが、引退するはずのエリックが新
 王者となったのでしょうか。誰かここらの詳細をご存知ないでっか。 
A“蒙古の殺人マシーン”ザ・モンゴル vs.
 “鉄の爪二世”デヴィッド・フォン・エリック
  鉄の爪一家の次男デヴィッドが迎え撃つはザ・モンゴル。こいつ、全
 日プロに来日した時はザ・モンゴリアンって名乗っていた様に記憶する
 んですが、まァ些細な事はどうでもエエか。
 試合はデヴィッドのアイアン・クローでモンゴルの額が割れ(今見るとち
 ょっとこの流血には説得力が欠けますな)、戦意喪失のまま幕に。
Bキングコング・バンディ vs. デヴィッド・フォン・エリック
  @の試合ではまだ頭に毛が生えていたバンディですが、ここではワ
 シのよく知るツルツル頭に。さて試合ですがバンディの巨体にデヴィッド
 が終始押され気味。アイアン・クローも出しはしましたが、結局はレフリ
 ーが2人連続して誤爆の餌食となった末に不透明決着や。
 あ、兄弟の中では最も素質があると言われて来たデヴィッドですが、1
 984年2月10日、全日プロに来日した際に品川の東武ホテルで変死。
 死因には諸説ある様ですが、それはまた別の機会に...(合掌)。
CWCCW認定世界6人タッグ選手権
 ケヴィン・フォン・エリック&デヴィッド・フォン・エリック
 &ケリー・フォン・エリック
 vs. ザ・ファビュラス・フリー・バーズ
 (マイケル・ヘイズ&テリー・ゴディ&バディ・ロバーツ)
  余り一般的ではない6人タッグ王座ですが、やはり鉄の爪一家とフリ
 ー・バーズの抗争用にわざわざ制定されたんやろか。
 試合はプレイング・マネージャー的なポジションのロバーツが姑息な攻
 撃を見舞い、この期を逃すまいとすかさずゴディがフォール勝ちをゲット。
 試合後は3兄弟揃ってレフリーの不手際を糾弾するも当然それらは受
 け入れられず、次回の闘いへと遺恨は引き継がれて行き...。
 いやはや抗争物語のお手本のような筋書きですな。あ、ビデオの左隅
 に映る日付を見ると、1983年8月12日の収録みたいです。
D“鷹の爪”ケヴィン・フォン・エリック vs.
 “野獣貴族”ゴージャス・ジム・ガービン
  試合開始前のリング・サイドはケヴィンからのサインを貰おうと婦女子
 が多数詰め掛けて大騒ぎ。相手がその様なポジションの絶対的ベビー
 やと、さぞヒールのガービンも仕事がやり易かった事やと思うワ。
 ダーティな戦法を使いつつ女子マネージャーのサンシャインを介入させ、
 持ち時間が来たらケヴィンのボディ・プレスを受けてフォール負けや。
 あ、話は脱線するけど、“鷹の爪”って呼称は何とかならんかったのや
 ろかね。どうもこれを聞くと唐辛子を思い出してしまうもんなァ。
EWCCW認定アメリカン・ヘビー級タイトル・マッチ
 ケヴィン・フォン・エリック vs. “人間魚雷”テリー・ゴディ
  この時点で王者であったのは鉄の爪一家の長男坊ケヴィン。で、フ
 リー・バーズから選出されたゴディがタイトルに挑戦って図式や。しか
 し当時23才程であったはずのゴディの力強さって言ったらどうや。
 資料によると僅か13才でジョージア地区の独立団体に上がりプロと
 なったらしく、この時点で既に10年のキャリアがあったんやから当然
 なのかも知れんけど...。
 試合はアイアン・クローを巡る攻防や、スリーパー・ホールド合戦など
 が盛り込まれ、最後はダイヴィング・ボディ・アタックによってケヴィンが
 ベルトを見事に防衛いたしました。
FNWA認定世界ヘビー級タイトル・マッチ
 “虎の爪”ケリー・フォン・エリック vs. 
 “狂乱の貴公子”リック・フレアー
  ビデオの末尾を飾るは、高貴な紫色のガウンを粋に羽織ってリング
 へ現れたリック・フレアーによるNWA世界タイトル戦。
 しかもギャラがたんまりと弾まれたのか、豪華な3本勝負でっせ!!。
 ではまず1本目。冒頭の絡みは収録時間の関係でかカットされており、
 早くもここでフレアー十八番の各種ムーヴがてんこ盛りで披露。
 で、ケリーの大袈裟過ぎる(苦笑)ディスカス・パンチがモロにレフリー
 の顔面を捉えるって伏線を敷き、ケリーのアイアン・クローがフレアーに
 炸裂。ここで急遽登場したサブ・レフリーが3カウントを入れ、1本目は
 ケリーに凱歌が、と思われたのですが正規のレフリーが息を吹き返し
 (笑)、さっきのディスカス・パンチの誤爆を咎めフレアーの反則勝ちを
 宣言。続いては、思わぬ逆転判決にケリーには後の無くなった2本目。
 ストレート勝ちを狙ったか(狙う訳なんてないか...)、フレアーはバー
 ティカル・スープレックスからケリーの足にストンピング攻撃をお見舞い。
 当然これは4の字固めへ向けての呼び水でして、ではこれにてフィニッ
 シュ(そんな事、思ってないって)とフレアーが4の字の姿勢に入った瞬
 間、ケリーの乾坤一擲のアイアン・クローがフレアーの額に炸裂。
 しかもフレアーさん、ここで待ってましたの流血ジョヴをブチかましてく
 れた末にケリーにフォールされてくれるので場内大盛り上がりや。
 そして運命(って結果は最初から見えているけど)の3本目は両者によ
 る壮絶な殴り合いが始まった途端、レフリーがこれではプロレスになら
 んと無効試合を通告。
 当然リング下に居たエリック御大もこの裁定に注文を付け(ってこの結
 末を知らんかった訳やないのに)にリング上に駆け上がるのやけど、一
 度下った裁定が覆る訳もなく、こうして今夜もダーティにフレアーは王座
 を防衛したのでした。目出度し、目出度し。
 あ、ケリー・フォン・エリックなんですが、1993年2月18日に自宅付近
 にてピストル自殺。前述したデヴィッドの謎の死亡に続き、当時のプロ
 レス・ファンを悲しみのドン底に突き落としたものでした(合掌)。

【ビデオを観終わって...】
  鉄の爪一家の特集とは言え、エリック御大は引退試合のみの収録で
 あり、後は息子達の試合模様が納められた本ビデオ。
 まだまだ息子達も駆け出し時代でして、今こうして映像を観ると息子達
 の奮闘振りよりも、相手を務めてやっている各レスラーの仕事振りばか
 りが気になってしまいましたワ。
 ただ息子達に各種の災厄が降り掛かる事がなかったのなら、エリック
 一座はもっともっと勢力拡大が図れたやろにな、とも思います。
 当時は息子達が一致団結して次々襲い来る外敵(って言ってもエリック
 御大が適時連れて来るんやけどね)を迎え撃つって物語ばかりやった
 ようやけど、そんな物語をこなす内に息子達も一皮も二皮も剥けるはず。
 そこで身内同士の骨肉の争いなんて物語にでもシフト・チェンジしようも
 のなら、エリック一座は連日連や大入り満員確実。
 プロモーターとしてのエリック御大のステータスも上がり、これを足掛か
 りに息子達のNWA王座獲りへと進めるって手も...。
 そう考えるとプロレスを、“たら”、“れば”、で語るのは不毛とは分かって
 いても鉄の爪一家を襲った悲劇を呪わずにはおれまへんワ。


 私どものHPによく遊びに来ていただいている『ロ暴@温泉馬鹿さん』
が、鉄の爪一家周辺の情報を報告して下さいました。

○鉄の爪引退興行
  昔、東京12チャンネルでやってた覚えがあります。ちゃんと日本の実況
 ・解説が被せてありましたが、確か国際プロレスの実況スタッフが被せて
 たような覚えがあります。
 フリッツvsバンディは、その通り、エニィウェアルールでした。当時、日本で
 は観たことがない試合形式だったので斬新でしたね。んで、フリッツが引
 退試合なのにバンディからタイトルを奪取して、新王者となって引退、とい
 うのも、日本語実況スタッフが「フリッツらしいですね」という、今思えば別
 の意味にも捉えられるんですが、なんとなくガキんちょ視聴者を納得させ
 てしまうような、フォローというか、解説を入れていたことを憶えています。
 ちなみに、この引退試合の後にもフリッツ御大は何度か手前のリングで、
 スポットで復帰試合をやってます。その辺のところは、この世界のことで
 すから、あえて付け加えなくても当然に予想のつくことかと思いますが。
 ちなみに、このフリッツ引退興行で他の息子達はどんな試合をしていたか
 と言うと…何でこんなことを憶えてるのか自分でもわかりませんが、何故
 か憶えてまして。
  確か、3男ケリーはハーリー・レイスのミズーリ州ヘビー級タイトルに挑
 戦。当時、ミズーリ州ヘビーのベルトは「NWA世界チャンプへの登竜門」
 などと呼ばれてまして。て言うか、日本のマスコミがそう言ってただけかも
 しれないですが。結果は忘れてしまいましたが、不透明決着でレイス防衛
 だったように憶えてます。
  長男ケビンと次男デビッドは、ガブキ(高千穂)&ドラゴン(薗田)の持つ
 アジアタッグ王座に挑戦。エリック兄弟がピン勝ちしたかに見えましたが、
 その前に何かで反則を取られて東洋コンビが防衛でした。
 ちなみに、日本でカブキ・ブームが起きる前のことです。アジアタッグ王座
 の歴史を紐解くと、ケビン&デビッドは、王座に就いたことがありますが、
 カブキ&ドラゴンはありません。また、この当時、全日本のリングでは石川
 (タカシ)&佐藤(シンジャ)のコンビがアジアタッグ王者でした。
 おそらくはダラス・マットに於いて、何らかのタイトル移動捏造があったの
 ではないかと思われます。まあ、それも今更非難するようなアレではない
 ですがね。
  この頃、4男マイクと5男クリスはまだデビュー前で、親父や兄貴のセコ
 ンドについてました。デビッドもケリーもそうだけど、エリック一家の本当の
 悲劇は、本来ならレスラー向きではない体格の末弟2人がリングにデビュ
 ーし、両者とも非業な死を迎えた、というところにあるのではないかと。
  後は、エル・ソリタリオとか、バグジー・マグローとかも前座で出てました
 ね。他にも、ブロディやアンドレも出てたはず。日本でも名の通った、豪快
 な外国人メンバーが揃ってたのが印象に残ってます。客もたくさん入って
 いたし。

○カブキ&ドラゴン
  高千穂と薗田ですが、確かその12チャンネルの中継では「ザ・カブキ」
 「ザ・ドラゴン」とだけ呼ばれてました。グレートとマジックは抜けてましたね。
 んで、アジアタッグの呼称は「オール・アジア・タッグ」でした。聞いたこと
 のない名前だな、と思ってたんですが、全日本のアジアタッグのベルトに
 は、「オール・アジア・タッグ・チャンピオン」と書かれているのを知り、アジ
 ア・タッグのベルトをダラスのマットにおいて何らかの形で継承しているの
 だとわかりました。
  あと、カブキとドラゴンのブッキングについては、エリック王国と御大G・
 ババの友好関係が直接的に働いたものではなかったと思います。
 高千穂は日プロの残党で、アメリカに出て、本来、帰国命令が出ない、
 すなわち飛ばされた選手でした。んで、カブキのギミックで、全米クラスの
 スターになり、当時薗田がアメリカに遠征してたんだけど、仕事がなくて
 食えなくて、高千穂がタッグを組んでやることで薗田に仕事の機会を与え
 ていた、ということを以前カブキが言ってたことを憶えています。
  カブキは集客力のある大スターだったので、自分のパートナーを指名す
 る発言力があり、一緒のリングに立てば、いくらでも食わせてやることが
 できた、ということのようです。
 仕事ができる選手であることは、当然のことながらやはりどの世界でも伸
 し上がるには、政治力が必要、ということなんでしょうね。
 カブキが日本でセンセーショナルなデビューを果たすのは、それから少し
 だけ、後のことです。
  あとは、テリー・ゴディは、確かG・ババがアメリカに遠征した際、PWFの
 タイトルの防衛戦をしてます。ゴディ初来日の1〜2年前だったと思うので
 すが、その頃まだゴディは10代だったとのこと。16文キックでG・ババが
 防衛し、ゴディがその後、初来日するのは、テリー・ファンク引退シリーズ、
 だったかな? 

○鉄の爪の息子達
  確か、4男マイクは、2男デビッドの死後にデビューしたんだけど、デビ
 ッドの死をギミックに使わされていた、と聞いたことがあります。
 最後は湖畔で薬物による中毒死説、自殺説がありますね。この記事を読
 んだのは、自分の場合、一般の新聞の有名人死亡覧だったので、凄くび
 っくりした憶えがあります。
  またケリーなどは子供の頃から地元では有名なスポーツ・アスリートだっ
 たとのことですが、そんなケリーに対し、ケリーが10代半ばの頃から、フ
 リッツが筋肉増強剤の使用を強いたとかで。
 ケリーは初来日時から奇行が目立っていたとのことですが、何かしらのス
 テロイドの影響のあったのかもしれません。
  その後の交通事故→義足で復帰→ドラッグ使用で有罪判決→判決が出
 た直後、銃で自殺、というのも波乱だらけの人生でした。
 義足の事実が公になったのは、銃で自殺した後でしたね。
  クリスも銃自殺でしたが、クリスかケリーのどちらかは、馬小屋で銃自殺、
 だったと思います。一番不憫だったのは、身長170pほどでレスラーには
 不向きでありながらリングに上がらざるを得なかったクリスでしょうね。
  まあ、どこまで本当のことか、たぶんに噂先行な部分もあるのではない
 かと思いますが。ハート一家もそうですが、レスリングファミリーってのは決
 してハッピーなライフを送っていないというか、そういう宿命なのかな、と。


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