では収録内容の詳細を

THE RISE + FALL OF ECW
(DVD*2枚)
(DISC-1 : 約2時間50分収録)
(DISC-2 : 約3時間27分収録)
 2001年1月に崩壊したECW。しかしアメリカン・プロレスに与えた影響
ってのが計り知れないほど大きかったと騒がれるECWですが、どうも日
本国で生活していたワシにはピンと来なかったのです。ワシ自身、第何期
かの茨城W★INGにECW勢(ピット・ブルズやパブリック・エネミーやサン
ドマン)が参戦しだした頃からECWには注目していたのですが、当時か
ら日本語で紹介されたECWの関連記事なんてのは圧倒的に少なかった
し、頼みの綱は週プロに定期的に掲載されるグラビア記事のみ。
追ってビデオ(Eastern時代も含め)もあちこちから発売され、ガオラやサ
ムライTVでもECW定期放送(ガオラの和訳なしの番組が大好きやった)
が始まり、遂にパーフェクTVでは現地からダイレクトのPPVも始まった。
そんなこんなで試合の映像だけは沢山入手したものの、インターネットっ
て環境を手にするのが遅く、しかも英語の苦手なワシなので、最後の最
後までECWの内幕ってのがよく分からないままでしたんや。
で、今回発売されたのが、それを一気に補完できるであろう(?)ECWの
ヒストリーものDVD。米国では04年の11月に発売されており、ワシも一
刻も早く入手したかったのですが、米国版を買ってしまうとヒアリングに難
のあるワシにはまたまた敷居の高いブツとなってしまうのは明らか。
特典映像の各試合は大半が入手済であるし、ここはキチンと日本語訳の
入った国内版が出るまでじっと我慢、となりましたんや。
さて、そんなこんなでやっと手に入れた本DVDですが、本編は3時間弱
の時間を割き、ポール・Eをはじめ、当時ECWに属していた(で、大半は
現在WWEに属している)選手達のコメント、ビンス・マクマホンやエリック・
ビショフら商売敵(で、現在は同僚?)のコメントなどで構成されており、見
応え充分の内容に仕上がっております。さてさてECWをお題にするとど
うにもこうにも熱い思い(苦笑)が先走って脱線気味となってしまうワシで
すが、今回は可能な限り各自のコメントを正確に記する事(ユークスさん
堪忍な)で自制をはかり、淡々と収録内容をお伝え出来たらと願う次第。
既にネット上では様々なご意見の飛び交っている『ECWの隆盛と没落』
ですが、これより遅ればせながらワシもレビューへと...。

★★DISC−1★★

(01)Early ECW 【創成期】
  まずはビンス・マクマホン御大とエリック・ビショフが揃ってコメントを寄
 せております。
 ◆私達が出来ないことをヘイマンはやった。(ビショフ談)
 ◆ある特定のファン層に働きかけ、成功を収めた。(ビンス談)
  ECWがまだ【Extreme Championship Wrestling】ではなく、【Eastern
 Championship Wrestling】の略であった頃、団体のオーナーはタッド・ゴ
 ードン(本DVDではトッドとなっておりますが、タッドに聞こえるので以下
 はタッドと表記します)、ブッカー&マッチ・メイカーは故“ホット・スタッフ”
 エディ・ギルバート(W★INGでは初代ブギーマンを好演!)だったそう。
 で、93年9月18日の興行『ウルトラ・クラッシュ’93』開催に向けてゴー
 ドンより意見を求められたポール・E(ポール・ヘイマン)は、モトリー・クル
 ーやポイズンなどが受けていた音楽業界にニルヴァーナが多大な影響
 を与えた事を引き合いに、プロレス版のニルヴァーナを目指すと決意。
(02)The Public Enemy 【パブリック・エネミー】
  そこでまずプロデュースしたのが、ジョニー・グランジと“フライ・ボーイ”
 ロッコー・ロック(02年9月21日、死亡)からなるパブリック・エネミー。
 陽気なダンスで入場し、いざ試合となると度を越した暴れっ振り。初期
 ECWを支えた名タッグ・チームの誕生ですワ。
(03)Taz 【タズ】
  まだ原人ギミックで、タズマニアックと名乗っておりました。そして猿グ
 ツワと拘束衣でリング・サイドまで搬送されて来る狂人ギミック(?)のサ
 ブーと抗争を開始でっせ。
(04)Sabu 【サブー】
  FMWで頭角を現したサブー。ポール・Eも一目惚れしたそうです。
(05)Terry Funk 【テリー・ファンク】 
  この方もECWの立ち上げには尽力したそう。ビジネスの勘も優れ、次
 世代を育てることの大切さを知っていたとポール・Eは述懐してます。
(06)The Night The Line Was Crossed
 【ナイト・ザ・ライン・ワズ・クロスト】
  94年2月5日開催の『The Night The Line Was Crossed '94』ではシェ
 イン・ダグラス、テリー・ファンク、サブーの3者で3WAY・ダンス戦を披
 露。今や珍しくもなんともない3WAY戦ですが、この試合こそが初めて
 の挑戦だったそう。1時間戦い続けてのドローで、試合後はWCWやリ
 ック・フレアーに対して腹に一物持っているダグラスが吠えまくりや。
(07)Paul Heyman vs. WCW 【ヘイマン vs. WCW】
  ポール・E自身も、WCWって団体には好感情は全くないようで...。
(08)Tommy Dreamer 【トミー・ドリーマー】
  コスチュームはダサダサですが、若きドリーマーの雄姿をどうぞ。
(09)The Sandman 【サンドマン】
  タバコと缶ビールがトレード・マークのサンドマン。ポール・E自身、試
 合前の入場シーンがメインであったと述懐。
(10)Sandman-Dreamer Feud
 【サンドマンとドリーマーの抗争】
  当時の米国は、マイケル・フェイムって若者がシンガポールでムチ打ち
 の刑に処された(渡航先で悪さでもしたんやろね)って時事ネタで盛り上
 がっていて、これにヒントを得たポール・Eは、サンドマンとドリーマーの
 抗争アングルにちゃっかりとネタとして盛り込むことを思いつきますんや。
 で、94年8月13日の定期戦『Hardcore Heaven 1994』での両者の一騎
 討ちに、敗者がムチ打ちの刑に処される『シンガポール・ケイン・マッチ』
 を投入。ドリーマーが見事に敗退し、サンドマンから竹刀による非情のム
 チ打ち刑を受ける事に(ちょっと凄惨過ぎたね)。
 あ、後日談として、ドリーマーがサンドマンの目にタバコの火を押し当て
 て、サンドマンが失明するってネタも強行(こちらは10月1日の定期戦
 のはず)。控え室に居たレスラー達も巻き込み、サンドマン自身もネタに
 信憑性を持たすために1ヶ月間外出を控えた末に引退会見をリングで
 挙行や。で、当然リング上ではサンドマンが顔面を覆っていた包帯を取
 って突然ドリーマーに奇襲を仕掛け...。
 尚、この奇襲攻撃ですが、多分94年11月5日の定期戦『November To
 Remember '94』からの一場面やと思います。
(11)ECW Evolution 【進化】
  流血と女性への暴力。ECWの否定できない一面です。でも、ルー・テ
 ーズやバディ・ロジャースやパット・オコーナーやリック・フレアーらクラシ
 カルなものより、過激さが求められている、とポール・Eは判断。
(12)Cactus Jack 【カクタス・ジャック】
  WCWとの交流の一環で、WCWのタッグ王座に就いていたカクタス・
 ジャック(ミック・フォーリー)がECWへ参戦。サブーと対戦し、敗退して
 しまいます。敗戦後のカクタスは、「今夜、俺は3つの肩書きを失った。
 最も自虐的で、最も醜く、一番殺してやりたいと思われるレスラーだった
 のに」と、サブーへの呪詛の念を吐露。その上、WCWのタッグ王座に
 唾を吐きかける大暴走。94年6月24日の定期戦『Hostile City Showd
 own』でのスケッチですワ。
(13)Mikey Whipwreck 【マイキー・ウィップレック】
  ECW最弱キャラで人気のあったマイキー君。リング屋出身で、当時は
 まだ19歳だったそう。それでもカクタスと組み、パブリック・エネミーを下
 してタッグ王座へ就いております。
(14)The Extreme Begins 【エクストリームの始まり】
  NWAって組織を典型的な旧体制であると定義つけたポール・E。94
 年8月27日のNWA王座争奪ワン・ナイト・トーナメント決勝戦では、あ
 の『金看板』NWA世界王座をかけ、シェイン・ダグラスと2・コールド・ス
 コーピオが対戦し、最後は見事シェイン・ダグラスが勝ったんですワ。
 けどシェイン・ダグラス、歴代NWA王者達の名を挙げ、「俺の尻にキス
 でもしやがれ。(NWAって)組織は7年前に崩壊している。」とNWA世
 界王座のベルトを投げ捨てて、こっそり用意していたECW世界王座の
 ベルトを取り出し、「ECWの時代が到来だ!」と一世一代のアジテーシ
 ョンを堂々と敢行。ドリーマーによるとポール・Eとダグラスしか知らなか
 った策略であったそうで、まんまと嵌められてしまったNWA役員のデニ
 ス・コラルッツォ氏は呆然としております。
  あ、この夜行われたNWA王座争奪ワン・ナイト・トーナメントの全容を
 下に記しときますワ。
 予選
  ○Too Cold Scorpio vs. ●Chris Benoit
  ○911 vs. ●Doink (Matt Borne)
  ○Dean Malenko vs. ●Osamu Nishimura
  ○Shane Douglas vs. ●The Tazmaniac
 準決勝
  ○Too Cold Scorpio vs. ●911 
  ○Shane Douglas vs. ●Dean Malenko
 決勝戦
  ○Shane Douglas vs. ●Too Cold Scorpio
(15)Philadelphia 【フィラデルフィア】
  ポール・Eによるフィラデルフィア(ECWの根拠地)の観客への謝意。
(16)Technical Wrestlers
 【テクニカル・レスラーの参入】
  暴力だけがECWの売りではありません。エディ・ゲレロとディーン・マ
 レンコの純粋なレスリングに心底共感出来たのも、これまたECWアリ
 ーナの観客達でしたんや。尚、ECWマットで展開された彼等2人の名
 人戦ですが、95年4月15日のエディ・ゲレロによるTV王座の防衛戦は
 『Mental !』ってDVD(PAL方式なので注意して)に、95年8月26日の
 3本戦は『Path Of Destraction』ってDVDに収録されているので、是非
 一度ご覧になって下さいな。どちらもホンマに名勝負でっせ。
(17)Production Value 【ECWの哲学】
  長所を伸ばし、短所を隠すのがECWの哲学。試合中のミスや事故も
 全部オープンにし、次のネタへと昇華させております。
(18)The Fans 【観衆】
  ECWアリーナ座付きの観客。麦わら帽子を被った通称“ハット・ガイ”
 なんかが有名ですな。知識が半端ではなく、俺が日本で試合をしていた
 ことも知っていた、とクリス・ジェリコが述懐しております。
(19)Raven/Dreamer
 【レイヴェンとドリーマーの抗争】
  12歳の頃からの知り合い同士。ビューラちゃんなどもこの頃に表舞台
 に顔を出し始めました。
(20)Sabu Gets fired 【サブーの解雇】
  95年4月8日の定期戦にクリス・ベノワ&ディーン・マレンコ対サブー&
 タズ対パブリック・エネミーの3WAY式のタッグ戦を組んだポール・E。
 しかしサブーは直前の約束を反故にし、日本へ。興行当日はポール・E
 によるサブーの解雇宣言から始まりましたんや。
(21)Taz breaks his neck 【タズの負傷】
  95年のフロリダ巡業中、エディ・ゲレロと組んでディーン・マレンコ&2・
 コールド・スコーピオ組と戦ったタズですが、相手側の合体パイル・ドライ
 バーにより首の骨を折る重傷に。でもタズが語るには、契約書などない、
 握手だけの関係であったのに、休業中の1年間ずっとポール・Eはタズ
 にギャラを支払い続けたとのこと。実に泣かせる、エエ話ですなァ。
(22)The Monday Night War
 【マンデー・ナイト・ウォー】
  WWF(当時)との視聴率争いが激化していたWCW。ECWからクリス
 ・ベノワ、エディ・ゲレロ、ディーン・マレンコを引き抜きや。
 ま、本件についてはエリック・ビショフとポール・E、どちらの言い分もキチ
 ンと収められているので、聞き比べてどちらを支持するのかを決めて下さ
 いな。それと、一段高いところから発せられたビンス御大のコメントもあ
 りまっせ(これまた随分と微妙な言い回しですワ)。
(23)Lucha Libre 【ルチャ・リブレ】
  ベノワら名人達をごっそりと失ったECWですが、今度はルチャのスペ
 シャリスト達を招聘してエクストリーム・ルチャ・リブレを展開。これが米国
 進出の足がかりとなったとミステリオも当時を述懐しております。
(24)Steve Austin Comes to ECW
 【オースチンの登場】
  この人もECWに在籍しておりました。当時、エリック・ビショフから電話
 一本でWCWを解雇されたばかりで、これをネタにしてECWで暴れてく
 れとポール・Eが誘ったそうです。ビショフやWCWを徹底的にコケにしま
 くるオースチン、そのオースチンの口真似をするポール・Eと大爆笑の連
 続ですワ。あ、95年11月18日の『November To Remember '95』にて
 ECWマット初試合(それまでは乱入や乱闘に専念)となったオースチン
 ですが、ECW最弱キャラのマイキー・ウィップレックに敗れる(しかもタイ
 ツを下げられ、肛門を客席に無様に晒して)などと、ふっ切れたエエ仕事
 をしておりまっせ。
(25)Promos 【プロモ】
  各種プロモが充実していたのもECW。ここではカクタス・ジャックによる
 『アンチ・ハードコア宣言』の周辺がまとめられております。
 あ、『アンチ・ハードコア宣言』ですが、『The Best Of Cactus Jack』
 『Mick Foley : Greatest Hits & Misses』などのDVDにも収められており
 ますが、演者と観客との永遠に埋まらないであろう溝について触れられ
 ているはずのこの『アンチ・ハードコア宣言』、ワシみたいな『分かったつ
 もりのアホなファン』に向けて作られていたはずなので、何時かはコンプ
 リートで確かな日本語訳の付いたものが発表されて欲しいと切に願い
 ます。あぁ、英語がヒアリング出来るようになりたい...。
(26)Cactus Jack Leaves ECW 【カクタスの離脱】
  ここも『The Best Of Cactus Jack』『Mick Foley : Greatest Hits &
 Misses』などのDVDに詳しいですワ。  
(27)Taz returns 【タズの復帰】
  アルティメット・ファイトって言葉が流行っていた頃なので、長期欠場か
 ら復帰したタズの格闘系のスタイルが映えておりました。
(28)Sandman/Raven
 【サンドマンとレイヴェンの抗争】
  レイヴェン教の教祖様に納まった、当時のレイヴェン。けどここにサンド
 マンの奥方ロリさんと息子のタイラー君が入信したから、さぁ大変。EC
 Wマットにて即席の宗教戦争(笑)が始まりました。これ、ポール・Eもお
 気に入りのネタだそうですワ。
(29)The bWo 【bWo】
  スティーヴィ・リチャーズ、ブルー・ミーニー、スーパー・ノヴァらレイヴェ
 ン一家の若衆によるおちゃらけネタの数々。あれこれとやったけど、一
 番馬鹿受けしたのはnWoのパロディであるbWoでしたんや。
(30)Beulah & Dreamer 【ビューラとドリーマー】
  ドリーマーの子供を宿したとビューラが爆弾発言したことで、またまた
 ECWマットにビッグ・トラブル(苦笑)。ここら辺りのドタバタ劇(エクスト
 リーム・ソープ・オペラ?)は、96年1月5日の『House Party '96』、96
 年2月17日の『Cyberslam '96』、96年4月13日の『Massacre on Que
 es Boulvard』、96年4月20日の『Hostile City Showdown '96』などの
 DVDに詳しいので、PAL方式やけど頑張って鑑賞してみてや。
(31)ECW & WWE 【ECWとWWE】
  95年6月26日、WWF(当時)がECWの根城ファラデルフィアで開催
 した『King Of The Ring』。最前列には麦わら帽子(ハット・ガイ)とサング
 ラス氏の姿も見え、なんと巨漢メイブルの試合が面白くなかったのか、
 ECWチャントが発生する始末。これを目の当たりにしたビンス御大、96
 年9月22日の『In Your House - X : Mind Games』では、サビオ・ベガ対
 ジャスティス・ブラッドショウ(現JBL)の一戦に、サンドマンとドリーマー
 の乱入を許す大英断を。
(32)The Crucifixion 【サンドマンのはりつけ】
  96年10月26日の定期戦では、レイヴェン一家がサンドマンをキリスト
 に見立てて頭に有刺鉄線を巻き、そのまま十字架にはりつけにする大
 暴挙。やはり米国でキリストをネタにするのはタブーで、しかもこの様子
 をECWアリーナで生で観ていたのが、96年のアトランタ五輪で金メダ
 ルを獲得したばかりのカート・アングル。タズの働きかけでECWマットと
 関係を持ちそうだったのですが、レイヴェンらの所業の余りの残酷さに、
 怒り心頭で途中退席したと述懐しております。  
(33)The importance of PPV 【PPVの重要性】
  ファンの熱心な後押しがあり、リクエストTV局で初のPPVが決定。
(34)ECW loses the PPV 【PPV開催の危機】
  でも折角のPPVを前に、またも暗雲がECWに垂れ込めます。マサチ
 ューセッツ州リビエラの興行で、ニュー・ジャックとムスタファのギャング・
 スターズが、D−ボン&アクセル・ロットンとタッグで戦うはずだったので
 すが、ロットンが急遽欠場し、彼の代役にエリック・クラスって名前の殆
 ど素人に近い選手を起用。実はエリックは17歳だったのですが、コワ
 ルスキー道場で訓練を受けた19歳だと身分を偽っており、そんな少年
 をよせばエエのに、ニュー・ジャック親分がとことん血の海に沈めたもの
 やから裁判沙汰に発展。ニュー・ジャック親分は無罪になったものの、も
 ともとPPVに乗り気ではなかったリクエストTV局は、96年のクリスマス
 ・イヴにポール・Eに対してPPVの中止を通告...。
(35)The PPV is back on 【PPVの実現】
  そんな紆余曲折の末、遂にECWは97年4月13日初のPPV『Barely
 Legal』の開催に漕ぎつけますんや。名物解説者のジョーイ・スタイルス
 も感謝感謝でPPVの冒頭から全力投球ですワ。
(36)WWE Co-promotion 【WWEとの協力】
  またWWF(当時)の看板番組『Raw』にECW勢が特別出演したのも
 この頃。97年2月24日の番組を振り返り、キングさんは「今でも何故だ
 と思っている」、ビンス御大は「業界のためになると判断した」と発言。
(37)Barely Legal: Lance Storm vs. RVD
 【ベアリー・リーガル@:ロブ・ヴァン・ダム vs. ランス・ストーム】
(38)Barely Legal: Taz vs. Sabu
 【ベアリー・リーガルA:タズ vs. サブー】
(39)Barely Legal: The Main Event
 【ベアリー・リーガルB:メインイベント】
  97年4月13日の初PPV『Barely Legal』より3試合を選出。当初カー
 ドを組まれていなかったRVDは当時の複雑な心境を語り、ドリーマーで
 さえ解説席に座っていたのに、檜舞台に抜擢されたスティーヴィ・リチャ
 ーズは「俺でいいのか?」と思ったと胸の内を吐露しております。
(40)Raven goes to WCW and Jerry Lawler invades ECW
 【レイヴェンのWCW移籍とキングの登場】
  PPVを成功させて勢い付くECWですが、レイヴェンがWCWへ移籍す
 ることが発覚。しかもドリーマーにも一緒にと声を掛けていたそう...。
 この試合の周辺は97年6月6日の『Wrestlepalooza '97』に詳しいのや
 けど、レイヴェン離脱の衝撃を吹き飛ばせと、これに勝る衝撃の大事件
 をポール・Eは周到に用意。なんとWWF(当時)からジェリー・“ザ・キン
 グ”・ローラーを招聘や。しかもキングさん、大暴れでドリーマーを病院
 送りにしてしまうんです。股間を強打され、睾丸から溜まった血を抜かな
 いといけない羽目になったドリーマーですが、あとからキングさんが謝り
 に来た(苦笑)そうですワ。
(41)A Locker Room mole? 【舞台裏の混乱】
  度重なる選手流出に疑心暗鬼となったポール・E。初代オーナーのタ
 ッド・ゴードンをWCWの手先と怪しみ、電話の盗聴までしたそうや。
 またビル・アルフォンソにも疑いの目が向けられます。けど、ポール・E
 の疑念を晴らしたのが、97年9月20日の『As Good As It Gets』で行わ
 れたアルフォンソ対ビューラ嬢。『Deep Inpact』ってDVDにも収められた
 この試合、ECWで一番激しいものであったとポール・Eも述懐しており
 ますが、なるほどプロレス教則本の流血戦の項に収録すべき逸品や。
(42)The Superstars' Roles
 【スーパースターたちの役割】
  弱小団体ECWのレスラー達は、試合以外の雑務もこなす必要があり
 ました。ドリーマーは裏方全般で、ババは公演の契約担当。スティーヴ
 ィ・リチャーズはチケットの発送を行い、グイドー(現ナンジオ)はTシャツ
 の発送を手伝ったそうです。で、ワシが一番驚いたのが、タズの分担業
 務の内容。なんとタズは各種ロゴやTシャツのデザインを担当していた
 んやて!。あのタズがデザインを考える姿、ちょっと笑ってしまうね。
(43)Paul Heyman's creativity 【ヘイマンの創造】
  ポール・Eのネタ作りの巧みさと、人心掌握術について、
 ◆カルト教の教祖のようにたくみな話術で、自分の話を相手に信用させ
 る力があった。一種の洗脳だ。(ババレイ・ダッドリー談)
 ◆彼が命じればみんなは裸で画鋲の上に寝ただろう。(アル・スノー談)
 そんなアル・スノーですか、マネキンの首に語りかけるギミックが大当た
 りするんや。観客が振り回す無数のマネキン首が乱舞するECWアリー
 ナ、どこぞのカルト教団の道場と紙一重の危なさですワ(苦笑)。
(44)WCW & WWE's ECW Imitation
 【WCWとWWEの模倣】
  ECWで受けたネタがWWF(当時)とWCWに模倣されたって点につ
 いて、ビショフ、ポール・E、ビンス、ミック・フォーリーらが語ります。
 ◆ECWは2番手に近付いたことさえない。(ビショフ談)
 ◆ECWから生まれたものを、作り出したのは自分だとビショフは信じて
 いる。(ポール・E談)
 ◆ECWで行っていたことを形を変えて取り入れたりしたが、彼等は脅威
 ではなかった。我々の目指すものとは異なっていた。
 ◆(WWFが推進した)アティテュード(路線)は成長した。これは間違い
 なくECWが起こした革命がきっかけだ。(ポール・E談)
 ◆ECWなしにWWE(当時はWWF)のアティテュード(路線)はない。
 (ミック・フォーリー談) 
(45)Taz & the FTW Title 【タズのFTW王座】
  98年3月1日のPPV『Living Dangerrously '98』では、タズ対ビガロの
 一戦が行われ、リングが陥没するアクシデント(?)が発生。これでタズ
 はビガロにTV王座を取られてしまいます。で、腰の辺りが涼しくなった
 のが気になったのか、タズは98年5月14日の定期戦において勝手に
 FTW(Fuck The World : 世の中、全部クソッたれ!)王座を新設や。
(46)The Dudleys: the most hated tag team
 【ダッドリーズ“嫌われ者タッグチーム”】
  ECWマットで猛威を振るうダッドリーズ。ボールズ・マホーニーを火炎
 テーブル葬に処すなどと、怖いものなしの大暴走や。でもD−ボン、当時
 を振り返って曰く、「誰もひどい火傷を負わずにすんで良かった」。
 あ、99年7月18日のPPV『Heat Wave '99』でのお客との罵り合いも、
 これまた忘れられん一コマでしたな。
(47)Financial Woes 【財政危機】
  ポール・Eが振り返るに、ECWの営業戦略上、日増しに重要になって
 行ったのがインターネット。しかし経費がかさみ、人件費に回すお金が
 なくなって来ましたんや。ギャラの小切手の不渡りが恒常化しはじめた
 当時を振り返って、
 ◆俺には“経験”が給料だ。(リトル・グイドー、現ナンジオ談)
 ◆ポールは実業家じゃない。プロレスを知り尽くし、ストーリーを考える
 天才だったけど。(D−ボン談)
 ◆ポール自身にとって一番の問題は、1日が24時間しかなかったこと
 だ。(スティーヴィ・リチャーズ談)
(48)The TNN Deal & Taz Leaves
 【全国放送TNN進出とタズの離脱】
  遂にTNN局と契約し、全国進出を決めたECW。嘘かまことか、ビン
 ス御大はポール・Eに電話を入れ、下記の様に忠告したそうです。
 ◆君には変化が必要だ。これまで君がやって来たのは、少数派の視聴
 者のためのリスクの高い番組作りだが、これからは全国規模になる。
 より広範囲に渡る大衆を番組にひきつけるのだ。(ビンス談)
 しかしビンスの忠告を素直に聞き入れるポール・Eではなく、番組の内
 容が見直されることはありまへんでした。
 また、ビデオ・ゲームやDVD(当時はビデオ?)やTシャツがいくら売れ
 ようと、ポール・Eに入ってくるのはライセンス料のみであったとのこと。
 そんな中、あのタズまでがWWF(当時)移籍を決意。
 ◆ECWが俺にとってぬるま湯となり、気がつけば挑戦するものがない。
 (タズ談)
 で、99年9月19日のPPV『Anarchy Rulz '99』を最後にタズはECWか
 ら卒業。プロレスってフィールドでしか説明不能のタズの散り際、是非こ
 のPPVの映像を入手して鑑賞してみて下さいな。
 【補記】ここをお読みいただいた方々は、まるでこの試合がECWマット
  でのタズの最終試合であると思われるでしょうが、実は9月24日のミ
  シガン州はプライマウスのコンプウェア・スポーツ・アリーナ大会及び
  10月22日のニュー・ヨーク州はポキプシー大会では宿敵サブゥと、1
  0月30日のオハイオ州はデイトン大会ではマイク・オーサムと、11月
  7日のニュー・ヨークはバッファローにおけるPPV『November To Rem
  ember '99』ではRVDと、各々タズは一騎討ちをやっているですワ。
  これらの夜の模様の詳細はレビューとして順次アップいたしますので、
  もし興味をお持ちいただいたなら、是非そっちもご覧いただけたらと思
  います。
(49)The Dudleys Leave ECW 【ダッドリーズの離脱】
  タズの離脱に続き、今度はダッドリーズがWWF(当時)移籍を決意。
 ◆(ポール・Eに)ECWに残るべき理由を示して欲しかった。でもポール
 はなにも示せなかった。この時、実感した。ECWは小さな団体で、WW
 F(当時)のための人材育成所のようだと。(ババレイ・ダッドリー談)
 ◆WWF(当時)に行きたくなかったダッドリーズは、1ドルの昇給を願い
 出た。でもポールは言った、「金で勝負する気はない。残りたいやつは
 残れ」。(トミー・ドリーマー談)
 で、99年8年26日の定期戦を最後に、ダッドリーズはECWより離脱。
 尚、ダッドリーズは最後の興行でなんと8度目のタッグ王座に就いてし
 まうのですが、ベルトを持ったまま移籍することは不可能。ドリーマー相
 手のハンディ戦が始まり、ここにWCWから離脱(クビになった?)したば
 かりのレイヴェンが衝撃の乱入!!。メジャー(WWF)へ出て行く者、メ
 ジャー(WCW)から舞い戻った者、悲喜こもごものタッグ王座移動劇は
 『The Best Of The Dudley Boyz』ってDVDで全部確認可能でっせ。
 【追記】上記したダッドリーズの1ドル昇給についてですが、これってEC
 Wでの現状のサラリーに1ドルの追加だったのか、はたまたWWF(当
 時)が提示したのであろう莫大なサラリーに、更に1ドルの追加であった
 のか。前者なら浪花節っぽいけど、ダッドリーズには申し訳ないものの、
 どうもワシには後者の様に思えてならんワ。ま、もっとも両団体を天秤に
 掛け、少しでもサラリーを増やしたい、との考えを何処の誰も非難なんて
 出来ないんやけどね。
(50)Disappointment with TNN
 / RVD - the whole F'n show
 【TNNへの失望とRVDの躍進】
  TNN局に好かれる番組を作るどころか、WWF(当時)でくすぶってい
 たサイラスを雇い入れ、TNN局差し向けの番組検閲員ギミックを命じた
 ポール・E。この人、全く懲りておりまへんワ。
 ◆局はこの王者を好む。番組のスタイルはこうしろ。(サイラスの演ずる
 言動は)現実の状況そのままだった。(ポール・E談)
 またECWを宣伝せず、WWF(当時)との契約を画策するTNN局の動
 きを嗅ぎつけたポール・E、定期放送番組で公然とTNN局を挑発や。
 ま、例えるなら『笑点』にもっと力を入れろと円楽師匠が番組内でナベツ
 ネ率いる日テレを批判するようなもので、この映像は個人的に本DVDの
 ハイライトとなりました。
 で、そんな八方塞り状態のECWに、明るい光を放っていたのがRVD。
 『ミスター・マンデー・ナイト』を名乗って人気も出て来ましたデ。
 ◆プロレスの緊迫した場面によくある、「復讐してやる」なんて言葉、RV
 Dからは聞きたくない。(ポール・E談)
(51)Mike Awesome controversy
 & Tommy Dreamer wins the title
 【オーサム問題とドリーマーの王座獲得】
  00年4月10日のWCWの定期放送番組『Nitro』に、当時ECW世界
 王座に就いていたマイク・オーサム(元グラジエーター)が登場。ECW
 との契約期間満了前の出来事に、善後処理として行われたのは、4月
 13日のECWの定期戦にタズが一夜限り復帰し、ドリーマーの手を借り
 てオーサムからECWの世界王座を奪回(直後の4月18日にECWのベ
 ルトを持ち、WWFの『SmackDown』にてHHHと対戦)。そして再度EC
 Wのリングに戻ってドリーマーに敗退し、ベルトを渡してやるってこと。
 オーサム、タズ、ドリーマー、WCW、ECW、WWF(当時)と、みなさん
 大人の態度で揉め事解決に尽力したみたいですワ。
 ◆TVで仕事をすると多くの主人ができる。まず最強の主人である視聴
 者を楽しませ、同時に広告主も喜ばせる必要がある。そしてTV局が満
 足する番組作りだ。世の中を正そうとする過激派が文句を言うかもしれ
 ない。全てのご主人様の要求に応えるにはバランスが必要だ。ポール
 にはそれが欠けていて、少数のハードコア・ファンに偏り過ぎた。勿論
 広告主は喜ばない。だからTV局も充分に援助しない。PPV会社も番
 組を気に入らなかった。内容に対する反発があったからだ。ハードコア
 を好む視聴者と一般的な視聴者を同時に獲得することはできない。そ
 の結果、小規模で閉鎖的にならざるを得ない。(ビショフ談)
(52)The Demise of ECW 【崩壊】
  そしてTNN局はWWF(当時)との契約を成立。ECWは他のTV局と
 の契約を求めるも、どこからも声が掛からず...。
 ◆彼の実業家としての判断は短期的にはいいが、長期的にはダメだ。
 だが結果論なら誰でも言える。当時の彼のようにレスラーを率いる立場
 にいたら、やり方を変える必要はないと考えても無理はない。しかし全
 国的な舞台では一部の観客だけではなく、全体に訴えかける必要があ
 る。実業家としての私の考えでは、それがECWの敗因だ。(ビンス談)
 ◆崩壊の原因は2つあると思う。1つは暴力的内容だ。ECWは過激が
 売りで、観客も見たがった。でもそれが大衆向きだったとは思えない。
 激し過ぎた。2つ目は前に言ったとおり、ポールが事業には向かなかっ
 たことだ。(ババレイ・ダッドリー談)
 ◆過ぎたるは及ばざるが如し。時に過激にやるのはいいが、それが毎
 晩では自分の首を絞めることになる。(ビンス談)
 ◆放送してくれるTV局がなく、金もなかったから潰れたんだ。もしTV局
 が見つかっていれば、皆今もECWで働いている。業界も変わっていた
 はずだ。TV局があれば大成功していたか、少なくとも生き残って成功の
 機会をつかんだ。しかし現実はTV局もなく、仕事もない。だから崩壊し
 た。理由は簡単だ、それだけだよ。違うことを言うやつらは
 誤解しているか、
 本当のことを知らない。(ポール・E談) 
(53)Paul Heyman debuts on Raw
 【ヘイマンのRAW登場】
  そして月日は流れ、ポール・Eも『Raw』に登場することに。
 ◆皆は現実から目を背けるが、私はそれを受け入れ前進することを学
 んできた。(ポール・E談)
 ◆業績を考えれば、“かじ取り”を好み、誇り高いのも当然のことと考え
 る。彼に選択の自由があれば今もECWを運営し、前回以上の成功を
 収めているだろう。夢を追い求め過ぎたばかりに破綻してしまったんだ。
 今も好きな業界にとどまっているのは敬服に値するが、彼の望んでいた
 形ではない。彼の夢はECWを存続させることだったはずだ。そしてW
 WEを超える。それが望みだったと思う。だが叶わないと知った時、現
 実を受け入れたことが、彼をここにとどまらせ、誇り高い男にしたんだろ
 う。(ビンス談)
 ◆ECWコールでファンも懐かしい気分になる。ECWを愛した人間は反
 抗的な集団で、ECWへの声援は
 自分自身の個性の表明だったんだ。
 他と違うことをやる連中への賛辞
 でもあった。(ミック・フォーリー談)
 ◆失敗の危険なしに成功はあり得ない。そして失敗を恐れていたら成
 功できないことを学んだ。恐れなければ成功の可能性はあるが、危険
 は常につきまとう。失敗は覚悟の上で、時にそれを楽しみ、失敗から学
 ぶ。朝、目を覚まして思う。今に見てろよ、この失敗で終わった訳じゃな
 い。おかけでより賢く、危険な人間になったってな。(ポール・E談)

【隠しトラック情報】
 @チャプター画面の3面目で“Promo”を選択し、左ボタンを何度か押す
 と、タズ&アルフォンソ、スティーヴィ・リチャーズ、ピット・ブルズ&フラン
 シーン、パブリック・エネミー、カクタス・ジャック、ダッドリーズ、ダッドリー
 ズ&ビューラ、トミー・ドリーマー、レイヴェン、イリミネーターズ、サンドマ
 ンらのプロモが再生されます。ただし、当時はプロモの大半のBGMと
 してサーフ・インストの名曲で、映画『パルプ・フィクション』で取り上げら
 れた事でも知られるディック・デイルの『ミザルー』が狂騒的に鳴っていた
 はずなのに、著作権の関係か『ミザルー』に似せた別の曲が被せられて
 おり、ワシを大いにガッカリさせる事に...。

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